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シロノワールのグミ
2012.05.15 Tuesday | category:日々
少し前、友人からコメダ珈琲店のシロノワールのグミなるものを頂いた。その友人によるとコメダ珈琲店の店頭で売っているそうだ。
シロノワールはコメダ珈琲店を代表するメニューで、暖かいデニッシュパンの真ん中ににソフトクリームが渦高く乗っている。シロノワールという名前は、シロ=白=ソフトクリーム、ノワール=フランス語の黒=黒っぽいデニッシュパン、から来ているそうで、どことなく異国風の響きがある中に実は日本語が入っているのだった。初めて食べたのはもう何年も前、友人たちと名古屋へ旅行した時だった。その時は甘いデザートを堪能しながらデニッシュの暖かさとソフトクリームの冷たさが混じり合って不思議な感じがしたのを覚えている。このシロノワールは一皿の量が結構あって、一人で食べるのはかなり覚悟が要る。僕も友人たちと分けて食べた記憶がある。コメダ珈琲店は名古屋近辺で店舗をいくつも展開したのだけれど、近年は関東地方にも出てきていて、二年ほど前だったか僕の家の近所にもコメダ珈琲店が出来た(といってもバスには乗らねばならないくらい離れている)。行ってみたら、メニューにミニシロノワールなるものがあって、思わずそれを頼み、名古屋の旅行を思い出したりしたのだった。
で、それがグミになったものが最近出来たということで、早速食べてみる。グミなので噛むとやはりぐにょっとくる。さすがに暖かい冷たいの感覚はないのだけれど、香りと味が本物に近いように思う。実は最後にシロノワールを食べたのが二年ぐらい前なので、微妙な違いがわからないのだけど、口の中のこの味は何だと問われれば、シロノワールであると答えが返ってくる。さらに本物の味に会いたいと思い始めるのだった。
そんな訳で、久しぶりにコメダ珈琲店へ行ってみようかと、今僕はスタバの中で考えているのだった。
■今日のセリフ
「…うまい…。」(カッコーの巣の上で)
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*「カッコーの巣の上で」(1975年 監督 ミロス・フォアマン)
※シロノワールの由来はコメダ珈琲店のホームページから。
筋肉痛
2012.05.13 Sunday | category:日々
先日、エアロビクスの最中に左足ふくらはぎの深いところの筋肉が痛み出した。最初は、ちょっとばかり痛いな、などと思いながら続けていたけれど、次第に痛みは増していき、かなり辛くなってきた。途中で離脱して脚にマッサージをするのもちょっとみっともないと、見栄を張りながらも次の小休憩はまだかと一日千秋、ではなく一秒千秒の思いで続けているうちにやっと小休憩になり、急いでその筋肉部分に親指でぐいぐいと押す。痛いのが深いところで普通のストレッチでは効き目が無く、そうでもしないとその筋肉に刺激を与えられないのだった。(専門的にはコンディショニングストレッチとかいうらしいけど、実は、別のリラックス&ストレッチ系のクラスでよくやっているセルフマッサージを思い出して試しにやってみたのにすぎないのだけれど。)
すると、不思議と思わざるをえない、と司馬遼太郎の文をマネしたくなるくらいに不思議とその深部の筋肉がほぐれ、痛みが和らぐ。結局、その甲斐があって以後痛みを感じること無く、ましてや肉離れも無くそのレッスンは終わったのだけれど、終わったあとに痛かった部分を触ってみると、再び硬くなっている。これはこのまま放って置いてよいはずはないと思い、スタジオを出たあと、同じようにぐいぐいと押し、深いところの筋肉をほぐす。この際とばかりにその辺りの気になるところは全部、気が済むまで押してほぐし、ことなきを得たのだった。
ところが不思議なことはまだ続く。深部の痛みが取れやれやれと思ったあとしばらくして、今度は左足の膝裏あたりからふくらはぎにかけて、今度は表皮に近い側の筋肉がだるい、というよりは痛む。普通に歩いてもぼわーんとだけど確かに痛みがあり、ともすると左足からずっこけそうになる。しかしそれも翌日にはほとんどおさまって大事にはならなかったのだけれど、人間の身体というものは不思議というか、うまく出来ていると思うのだ。
考えてみるに、深いところの筋肉が痛みを訴えている間、それをカバーしようと表側の筋肉が相当頑張っていたのではないか。ただそのときは表側は黙々と耐えている。深いところの痛みがおさまったら今度は表側が痛みを訴える。決して両方がいちどきには痛まない。つまり、いきなり両方が痛み出しては僕はひっくり返る以外になく、それはこの上なく危険なことになってしまう。エアロビのスタジオならまだしも、人類が原野を走り回っていた頃なら確実に猛獣のエサになってしまうところなのだ。
人間というものはいっぺんに二カ所の痛みを感じない、というのを読んだのは『陽だまりの樹』というマンガだった。読んだのは30年くらい前だけれど、そんなことを身を以て体験して思い出したのだった。
■今日のセリフ
「まず、痛い」(花神)
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#『陽だまりの樹』(1981年〜1986年 手塚治虫著)
※人間が痛みを二カ所で感じない話は、主人公伊部谷万次郎が刀傷を負って、もう一人の主人公の医師手塚良庵宅に治療に訪れた際に、傷の痛みを訴える万次郎の頭を良庵が殴るというエピソードで出て来る。
*「花神」(1977年 NHK大河ドラマ)
ちょっとマイブーム
2012.05.07 Monday | category:日々
もともとその気配はあったのだけれど、僕の中では歌謡曲がちょっとばかりマイブームになっている。数年前に高校の学年の同窓会をやる時にBGMを準備したのがその始まりらしく、当時の曲を集めるために聴き、そのころ亡くなった作詞家の阿久悠のカバーアルバムを聴き、昨年の由紀さおりのアルバム「1969」を聴き、最近は一青窈が過去の歌謡曲をカバーした「歌窈曲」というアルバムを聴く、という具合に数年にわたって歌謡曲を聴いているのだった。
僕にとって歌謡曲を一番耳にしていたのは小学生の頃、という記憶が強い。
中学生になると色気づいてきて、洋楽とフォークがカッコよく、歌謡曲は今ふうに言えばイケてないものになり、高校生の頃からあとは聞く日本の歌曲はフォークからニューミュージックと名前を変えた歌ばかりになった。社会人になって気がつくとニューミュージックは歌謡曲と渾然一体となってJ―POPと名前を変えていて、歌謡曲をまともに耳にしていたのは小学生の頃で、中学生の頃からは細々とヒットした曲だけを知っている程度になった。
それで、その小学生の頃の歌謡曲を聴いてノスタルジーの中に浸っているのだけれど、歌詞を今になって読んでみると、なかなかよい。歌詞なのでもちろんメロディと一体となって初めて歌として成立するものなのだけれど、大げさに言えば歌詞を読むとその力強さや深さに感動する。その歌詞の裏にある―想像させるドラマを感じさせるのだ。
落ち葉の舞い散る停車場は
悲しい女のふきだまり
だから今日もひとり
明日もひとり
涙を捨てにくる
―「終着駅」
歩いても歩いても
小舟のように
私はゆれて
ゆれてあなたの腕の中
―「ブルーライト・ヨコハマ」
心が忘れたあのひとも
膝が重さを覚えてる
―「雨の慕情」
「そりゃ、トシのせいだよ」と言われそうだけど、歌謡曲は静かにマイブームなのだった。
■今日のセリフ
「まわる、まわるよ、時代はまわる」(時代)
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♪『歌窈曲』(2012年 一青窈のアルバム)
♪「終着駅」(1971年 作詞:千家和也 作曲:浜圭介 唄:奥村チヨ)
♪「ブルーライト・ヨコハマ」(1969年 作詞:橋本淳 作曲:筒美京平 唄:いしだあゆみ)
♪「雨の慕情」(1980年 作詞:阿久悠 作曲:浜圭介 唄:八代亜紀)
♪「時代」(1975年 作詞・作曲・唄:中島みゆき)
忘れていた記憶
2012.05.02 Wednesday | category:映画
【注】現在公開中の「わが母の記」のネタバレがあります。
「わが母の記」を見ている途中、「あっ」と思った。この物語は『しろばんば』からつながる話ではないか。
「わが母の記」は井上靖の自伝的小説の映画化だそうで、主人公の作家の父親の死後、次第に衰えて行く母親と家族の関わりを描いた作品である。その主人公の名前は「こうさく(洪作)」で、子供の頃母親とは別の老女と土蔵に住んでいたことがある。母親は妹二人とどこかへ去って行ったのだ。作家は当時母親に捨てられたと記憶し、今でもそれが母親へのわだかまりになっている。
描かれている時期は作家としての地位を確立し、その子供たちが独立を始めようかという昭和の高度成長期に重なり、その頃の家族の姿が丁寧な作りの画面とテンポの良い話の展開で語られる。その中で、土蔵の老女の何回忌かの法要の場面があるのだけれど、そこに出て来たその老女の「写真」を見て、僕は『しろばんば』を思い出したのだ。その写真に写っている老女が僕の持つ『しろばんば』の老女のイメージに近いという訳ではない。しかし、その写真は確実に僕に三十年以上も前に読んだ小説を想起させたのだった。
実は『しろばんば』は僕が自ら読んだ小説ではない。高校1年の時に井上靖ファンのクラスメートがいいから読め!と勧めたのがきっかけだった。僕は『あすなろ物語』を読んだことがあり、何かの弾みでその話が彼との間で持ち上がって、そういうことになったと記憶している。『しろばんば』も『あすなろ物語』も井上靖の自伝的小説と言われ、成長の順序から行けば『しろばんば』が先になる。順序は逆になったけど、僕は『しろばんば』を読み、いたく感動した。どのくらい感動したかというと、こともあろうにマンガにしようと思い立ち、ノートに描き始めたのだった。しかしそれは何のプランもなく、1ページか2ページで挫折したのだけれど。
そのくらい感激した小説だったのにストーリーの細かいところも結末も忘れてしまっている。それなのに映画「わが母の記」は『しろばんば』を思い出させた。それは、それほどにこの作品が井上靖の世界を深く描いているということかもしれない。(表に見えるところでは主人公の名前―洪作で、未読なので原作でもそうなっているのかは知らないけど、『しろばんば』では土蔵の老女に預けられている少年の名前は洪作である。)
そしてそれは取りも直さず、丁寧に作られたこの作品を見ているうちに湧いてくる静かで深い感動の源になっている。
■今日のセリフ
「まるで東京なんとかっていう映画みたいだ」(わが母の記)
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*「わが母の記」(2011年 監督 原田真人)
#『しろばんば』(井上靖著 1960年)
#『あすなろ物語』(井上靖著 1953年)
武井咲を気にした一週間
2012.05.01 Tuesday | category:日々
父親がどうも武井咲のファンらしいと気づいたのは先週の火曜か水曜で、新聞の日曜版を見ていた父が「ここにあのコが出ている」と言った時だった。その「あのコ」というのが武井咲のことでインタビュー記事が載っている。そこから先週から今週にかけて、武井咲追いかけ週間となったのだった。
そもそもは先週月曜にに放送のあった「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で、これは父親がもともと好きでよく見ている。その番組は要するにゲストが笑福亭鶴瓶とともに自分の行きたい(大概は地方の)どこかへ行き、その地の人たちの話を聞いたり、催しに一緒に参加したりするという番組で、ぶっつけ本番というのが売りの一つになっている。その日のゲストが武井咲で、父はいつも通り番組を見ていたのだった。彼女は「平清盛」の前日放送された回にも出ていたので、僕がそう伝えても全く覚えがないらしく「そうかぁ?」などと言っていたくらいなので、番組が終わってしまえばそのまま忘れ去ってしまうだろうと思っていた。
ところが、件の記事を僕に教えた上、そこに同じ週(つまり先週)の木曜から始まる連続ドラマに主演するとあるのを読み、妙に張り切っている。つまりは木曜日の夜には何があってもそのドラマを見ることになったのだった。そして、かの木曜日の朝に、夜のドラマと同じチャンネルのいつも見ている朝のワイドショー番組にゲストとして彼女が現れたのだった。要は夜のドラマの宣伝を兼ねていたのだけれど、しかし父はここでも武井咲を見られたと喜び、夜はのその番組―「Wの悲劇」がますます楽しみになったらしかった。
そのあと再び週末を迎えると土曜には大河ドラマの再放送があり(僕は先週見られなかったので再放送を見たのだ)、既に父親が武井咲を気にしていると分かった僕は、その出演場面が出たら父親に教え、翌日曜の夜にはその次の回で出演場面を気にすることになったのだった。
さらに翌日の月曜には「家族に乾杯」の武井咲編の後半があって、それも見る。
そうやって気づいてみれば、父親にとっては孫と一つ違いの女優さんをほぼ一週間気にする週になったのだった。
■今日のセリフ
「私はあなたの一番のファン」(ミザリー)
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*「鶴瓶の家族に乾杯」(1995年〜 NHKのバラエティ)
*「平清盛」(2012年 NHK大河ドラマ)
*「Wの悲劇」(2012年 4月26日〜 テレビ朝日)
*「ミザリー」(1990年 監督 ロブ・ライナー)
仮想と実物
2012.04.29 Sunday | category:日々
ネットショップがどんなに便利で手軽になっても、実際の店に行くのはやめられない。
先日、本屋で見つけた文庫本は、広告コピーの傑作集で未だかつてネットショップでこの類いのものは買ったことがない。だから、そのネットショップのサイトで僕向けの推薦商品として表示されない。本屋に行かなければ絶対に出会うはずのない本だったのだ。そしてその出会いが期待以上によいものだったりする。
買ったのは『傑作!広告コピー516』という文庫本※で、1980年から2000年までの広告コピーの傑作集になっている。中を見ると、懐かしさに触れたり、感心したり、うなったり、思わずニヤリとしたりと、すぐさま手に入れたくなったのだった。
こういうことがあると、いくらネットショッピングが発達し、仮想の世界で用をなすことが出来るようになっても、実際に店を訪れるほうが遥かに心地よい出来事に出会う。そこには、ネットの世界だけでは出来ない何かがある。
だから、今日も僕は出かけると、本来の用事とは別にふらふらと本屋へ入り、CD屋へ行き、さらに日用品の専門店を覗く。
■今日のセリフ
「ど、どこさ行ぐ?」(さらば愛しき大地)
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*「さらば愛しき大地」(1982年 監督 柳町光男)
※『傑作!広告コピー516』(メガミックス編 文春文庫 2012年)
「平清盛」
2012.04.22 Sunday | category:TV
NHKの大河ドラマ「平清盛」の視聴率が低いと世間で話題になっている。視聴率というのは民放がスポンサーを得るための商売道具のひとつなんだから、NHKの番組でそんなものは気にしなくてよい、と思うのは僕だけらしく、世間はどうもそう思わないらしい。
僕なんぞは、この先どうなるのかとドラマの展開が気になり、毎週日曜夜の放送を見ている。何かの理由があって本放送が見られない時は再放送を見る、それも駄目そうなら録画して見る、という具合なのだ。今描かれているのは、天皇家(ドラマでは「王家」と言っている)と貴族の最大権力者藤原氏との権力争いとそれに巻き込まれる武士たちで、これまでの大河ドラマや歴史/時代ドラマではあまり描かれたことがない。よく描かれているのは、少し時代の下がった源平の争いとか戦国時代とか江戸時代の将軍世継ぎとか幕末とかで、天皇家あたりは部外者的な位置にいる(少なくとも中心的な当事者ではない)ことが多い。だから「平清盛」で描かれるような人間味丸出しの天皇家の権力争いというのはとても新鮮に見えるのだ。
新鮮ということは裏を返せば、なじみが薄いということで、ドラマはその辺を意識してか丁寧に対立の構図や因縁を描いている。それはちゃんと見ていれば分かってきて、この先はどうなるのだと気になるし、ドラマ後にある縁(ゆかり)の地の紹介を見て歴史的事実からこういうドラマを作り出しているのかと思うことも楽しいのだ。
難点を一つ上げるとすれば、なじみがないだけにちゃんと見ていないと分かりにくい、というところで、それが日曜夜の茶の間には向かないということかもしれない。
以前の人々はもっと真剣にドラマを見ていたように思うのだけれど…。
■今日のセリフ
「何もわかっておらぬな。清盛よりお前のほうがはるかに扱いやすい。」(平清盛)
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*「平清盛」(2012年 NHK大河ドラマ)
十五年経っても
2012.04.19 Thursday | category:映画
再公開された「タイタニック」の3D版を見に行った。十五年前に見ているのでリバイバルを見る気分で、言わば十五年前の追体験に来たような感じで席に着いた。2Dから3Dに変えているので、2Dを前提に作られた遠近感の画面が出てくるとやはり気になる。しかしそれは途中までで、いつの間にか作品の世界に引き込まれていた。
優れた作品というのはそういうものなのだろう。十五年前に見ているにも拘らず、普通に作品の感想を書きたくなった。
この作品の優れているところは、タイタニック号の沈没という歴史上の事件のなかにラブロマンスの物語を入れているところにある。そのラブロマンスは、男と女の運命的な出会いであり、禁じられた恋であり、誰もが理解できる物語になっている。一等船客の上流階級の娘と三等船客の米国での希望に燃える以外何も持たない青年の恋は、上流階級の家族たちからの圧力、初めて覗いた下層階級の人々の宴会での大騒ぎへの驚きと楽しさ、絵画という手段から始まる密会、作られた容疑による拘束、絶望的な脱出行、という数々の映画で語られた言わば王道を一気に見せるのだ。
その過程を通じて、最初はお仕着せの結婚という自らの環境に不満を持つだけでその解決は自殺という手段しか持ち得なかった娘は、たくましく、強くなるのを僕らは見ることになる。暗い海中へ沈んでいった青年の死を乗り越え、救助船へ向かって呼子を吹く時の力強い音と何か強い決意を持ったかのような彼女の表情がそれを見事に表し、その後彼女が強く生きるだろうことを予感させ、直後のカットが今の、百一歳の、彼女の深くきつく閉じた目。このカットで八十年以上の時空を超えてその予感が当たっていることを今の僕らに確信させ、深い感動を呼ぶ。
優れた作品は色あせない。そんなことを確信したのだった。
■今日のセリフ
「世界の王だ!」(タイタニック)
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*「タイタニック」(1997年 監督 ジェームズ・キャメロン)
学生気分
2012.04.18 Wednesday | category:日々
昨日から英語の学校へ通い始めた。会話ではなくて翻訳のほう。クラスはレベル分けがあり、僕は基礎科というところにいる。行ってみたらクラスは男性2人、女性2人の4人だけで少し驚いたのだった。募集要項にはクラスは12人とあったのだけれど…。(実際は1名欠席だった。とはいえ、クラスはそれでも5名。)
このクラスでは、基本を学ぶ。文法中心になるそうだ。
初授業は冠詞と名詞がテーマなのだった。
a と the、単数名詞、複数名詞、集合名詞などなどと説明があり、それを聞きながら「え、a は初めて、the は既出、名詞は2個以上ならs を付ける、数えられないのは、a XXX of って付けるってことでよいんでは…」と思っていたら他にも色んな使い方があってある意味新鮮…と、今は涼しい顔で書いているけど、授業中は焦りまくっているのだった。
資料が渡されて、おしまいのほうに練習問題がある。1問目を終えたところで本日の時間終了となったので、続きは次回かと思いきや何のことはない宿題になったのだった。しかも講師が別に宿題用に用意していた課題もあって、それも合わせて次回の2日前までにメールで解答を送らねばならぬ。
そんな訳で、今日は午前中ジム行って午後はスタバかどこかででその宿題を片付けようと思ってたのだけれど、辞書も筆記用具も忘れて出て来たのだった。エアロビの準備は完璧だったのに…。
そんなふうに、少し学生気分に戻ったような日々が始まったのだった。
■今日のセリフ
「言葉はたった一つの努力で発達した。理由は?アンダーソン君?どうした、君はアメーバーか?ペリー君?」
「伝えるため?」
「違う!女のためだ」
(いまを生きる)
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*「いまを生きる」(1989年 監督 ピーター・ウィアー)
楽しめる娯楽作品
2012.04.13 Friday | category:映画
【注】現在公開中の「バトルシップ」のなネタバレがあります。
見せ物映画、と言って悪ければ、いわゆる超大作なる作品は、あれはどうなった?とかいきなり出て来たこれは何?といったツジツマの合わない、言わば大味な感じになってしまいがっかりしてしまうことも多い。
その点「バトルシップ」は設定や伏線がうまくいっている作品で見ていて嬉しくなる。
ハワイ洋上で世界各国の海軍が共同で演習を行なう環太平洋合同演習(リムパック)のさなか、彼らの目の前に姿を現した宇宙人が強大な武器を以て侵略を開始する。ハワイ諸島を含む周辺海域は宇宙人の張ったバリアに覆われ外部とは通信不能、頼みの綱は演習中の各国海軍だけという事態に陥る、というのが大まかな枠組みで、その中で繰り広げられる話がよかった。
結局、最新鋭のイージス艦は全滅、最後の頼みの綱となるのは、ハワイ、オアフ島で博物館になっている戦艦ミズーリとなってしまう。しかしミズーリを操艦できるのは現役軍人にはいなくて老齢の退役軍人たちが大活躍する。
物語の後半もかなり経ったこの辺りから僕は妙にこの作品が好きになり出した。というのも、ハワイには何度も行っていて、ミズーリも見に行ったことがある上、退役軍人の老人も何度も見かけたことがあるのだった※。この退役軍人は唐突に出てきたのではなく、話の前半でミズーリ上の式典に招かれたとちゃんと伏線がある。
隊員の一人が発見する宇宙人が太陽光に弱そうだという推測も効果的に反撃材料として使われていた。それも二度。
主人公のプロポーズ問題なんてすっかり忘れていたのだけれど、最後に出て来た。それも微笑ましい。
長いエンドロールのあとにエピローグが付いている。これもよかった。
あと、途中で出て来た孫子の兵法を生かした(と主人公が思っている)戦艦の大回頭は日本海大海戦がモデルではないかと思ったのだけど、これは僕だけかな。
そんな訳で、この作品は面白く楽しめ、違和感の残らない作品になっていた。
注)
※これは僕がハワイへ行くのがホノルルマラソンの時期というのと多分に関係している。ホノルルマラソンは12月の第二日曜と決まっていて、年によっては真珠湾攻撃の日(現地時間の12月7日)に近い。ミズーリか付近の海軍施設で追悼式典みたいなのをやっているらしく、その頃はアロハシャツと紙製のボウシをかぶった退役軍人をよく見かける。
■今日のセリフ
「別の方法がある」(バトルシップ)
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*「バトルシップ」(2012年 監督 ピーター・バーグ)


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